茶道具・古美術
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姥ヶ餅焼 黒茶碗
  \ 248,000 (税込)
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  作者 姥ヶ餅焼

9代樂了入 (1756-1834)

東海道五十三次の一つ、滋賀県草津の名物に乳首を象ったといわれる姥ヶ餅という餅があり、その餅を盛る皿として焼かれたのが姥ヶ餅焼である。
姥ヶ餅がいつ頃作られ始めたかは諸説(応永説、慶長説、寛永説)ある。
当初は店で出す食器として焼かれていたが、寛政年間頃(1789-1801)、茶道を趣味としていた姥ヶ餅屋八代目主人である瀬川都義が、矢倉町の馬池ノ上、姥ヶ懐(草津市矢橋町)に窯を築き、店の餅皿、湯呑のほか、茶碗、水指、香合、菓子器などの茶道具を焼かせた。
また楽了入や、京都や信楽の陶工に依頼し、「姥餅」の印を与え、作陶させたという。

文化(1804-1824)の頃、都義が罪に問われ、店は営業停止となり、姥ヶ餅焼もその頃閉窯した。
その後、経営が好調だった姥ヶ餅屋を巡る経営権争いが数十年続いたという。
安政3年(1856)、十代目主人金沢好澄は、都義の故地に窯を再興し、諸国の名陶写しの茶陶を焼かせた。
ようやく騒動が治まったのは元治元年(1864)頃のことだという。
明治~昭和頃に幾度か姥ヶ餅焼は再興され、名陶の写し、そして了入を偲び、楽茶碗も焼かれた。

印銘は、初期の頃は釘彫り銘、都義の頃になって小判枠「姥餅」、丸枠「姥餅」が捺され、再興されたものには都義の頃とは若干字形が異なる丸枠「姥餅」が捺された。
一部の古書に楽左入(1739年没)に作陶を依頼したとあるが、”了入”の誤植だと思われる。
  サイズ 幅11cm×高さ7.4cm×高台径4.5cm
  付属品 合わせ箱
  商品説明 19世紀前半、瀬川都義の頃の作と思われる姥ヶ餅焼の黒茶碗です。
楽焼です。
ラスター状の青い窯変(赤いのは窯変ではなく朱釉)が見られます。
印銘は崩し字で釘彫り「うばか餅」です。
了入の関与した作品かどうかは不明ですが、高い温度で焼成してあり、胎土も焼締まっていて臭いも無く、楽家の焼きに近い感じです。
いずれにせよ姥ヶ餅焼の黒茶碗はとても珍しく、貴重だと思います。
  状態 目立つ傷は無く、良い状態です。
 
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